設計スタッフの徒然話

ある「補佐役」について

こんばんは。2週間に一度の堅いお話です。

豊臣秀長という人物をご存知ですか?
水呑み百姓という最下層の身分からスタートして、
最後は紀伊・和泉・大和116万石を領する大大名であり、
従二位権大納言という高位にまで昇りつめた人物です。

彼よりも大きな出世を果たした人物は歴史上でただ一人、
百姓から関白・太政大臣にまで昇りつめた彼の兄・豊臣秀吉しかいません。

その豊臣秀吉の弟の話しです。
彼の事は堺屋太一氏の著書「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」を読んで初めて知りました。

彼が生きた時代には歴史上稀に見るほど数多くの英雄・豪傑がいました。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・武田信玄・上杉謙信・独眼竜伊達政宗・三本の矢で有名な毛利元就・
現在NHK大河ドラマで放映中の山内一豊・虎退治で有名な加藤清正などなど・・・。

これらの英傑たちは今まで数多くの伝記小説や映画・テレビドラマで取り上げられてきました。

織田・豊臣・徳川の3人は別格ですが、彼・豊臣秀長が当時持っていた官位・所領・権力に比べれば、
単なる田舎の一地方大名にすぎない武田・上杉・伊達・毛利・山内・加藤でも
多くの伝記・小説があり、広く人々に親しまれています。

それに比べ、現代の人からは想像もつかないくらいの高い地位・権力と富を持っていたはずの彼が
なぜ伝記や小説の題材にされる事がなく、人々に知られていないのでしょうか?

現代で言えば彼は安倍首相の次の麻生外務大臣くらいの地位・権力があって、楽天の
三木谷氏やソフトバンクの孫正義氏くらいの財力があるって感じでしょうか。

彼は百姓出身ですから武術に秀でた豪傑ではありません。それでも兄・秀吉の代わりとして、
生涯で大小100回以上の合戦に出撃して、ただの一度も負けた事がありません。

性格も温厚で誰からも好かれ、何より蓄財が好きで、争い事の調整は誰よりも得意でした。そんな彼がなぜ・・・。

この時代は兄弟が殺し合って権力を奪い合うという事がよく行なわれましたので(織田信長、伊達政宗など)、
彼も望めば権力の頂点に昇る事が出来たかもしれません。

でも彼はそれをしませんでした。彼は生涯、兄・秀吉のナンバー2「補佐役」を演じ続けました。
「補佐役」であって「後継者」を目指す事もなく、天才的なひらめきを持つ「参謀役」でもなく、
労多く、功少ない損な人生を選びました。

そして、そういう自分に満足していました。彼は兄より目立つ事を嫌い、
自分が成し遂げた成果を兄・秀吉の成果として、自分の功績を極力隠しました。

そうすることによって、兄・秀吉と同化し、兄弟間での争い事を無くし、
豊臣政権をより磐石にしていこうとしたのです。
彼が伝記や小説に登場することがないのは、彼自身のこういった行ないのせいかもしれません。

補佐役としての彼の功績と兄・秀吉のリーダーシップにより天下統一を果たした豊臣政権ですが、
彼の死後、急速にその崩壊が始まってしまいます。
補佐役がいなくなった豊臣政権は9年の後、徳川家康にその頂点の座を奪われてしまうのです。

現代の世の中で彼の様な存在の人は果たしてどれぐらいいるのでしょうか?
会社は社長一人では運営出来ません。

彼の様な補佐役が社内にいれば世の中の社長さんはどれだけ助かるでしょうか。
組織というものは強力なリーダーがいるだけでは
成り立たないものだと、彼の生き様は思い知らせてくれました。

彼の事がもっと知りたくなった方は「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」堺屋太一著を読んでみてください。

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