設計スタッフの徒然話

今日は何の日?

CS課の高田です。
今日は歴史ネタです。

62年前の今日、昭和20年2月19日。
東京から南へ1000キロにある硫黄島に
アメリカ軍が上陸しました。

当時、サイパン島を奪取したアメリカ軍は
そこにB-29爆撃機の基地を作り、日本本土を
爆撃していました。

しかし、サイパンからでは距離が遠く、
燃料切れや故障、日本軍戦闘機に迎撃されたりと、
海に墜落する機が続出しました。

そこで燃料補給や修理などの為の中間基地として
アメリカ軍が目を付けたのが硫黄島でした。

日本軍も硫黄島の重要性はわかっており、前年の
昭和19年6月、サイパン島が玉砕したころから
硫黄島を守る為に栗林忠道陸軍中将指揮下の
小笠原兵団20933名を配置していました。

栗林中将は全島を地下要塞化して、防備を固めましたが、
そんな日本軍をあざ笑うかのように、アメリカ軍は
艦艇400隻、爆撃機・戦闘機合わせて4000機、
総参加兵力25万人という途方もない戦力で
硫黄島に押し寄せてきました。

上陸3日前より行なわれた爆撃、艦砲射撃により
島の形が変わってしまったそうです。

そして2月19日より上陸開始。
上陸部隊指揮官、ホーランド・M・スミス海兵中将は
「こんな小さな島、5日間で占領する。」
と豪語したそうです。

しかし、栗林中将の下、全島地下要塞化した日本軍は
地下要塞にこもり、ゲリラ戦を展開しました。
5日どころか10日たっても20日たっても抵抗は続きます。
そして日本軍の組織的抵抗が終ったのは上陸後1ヶ月以上
たった、3月17日でした。

その間、アメリカ軍は実に21865名もの戦傷者を出しました。
日本軍は20933名のうち20129名が戦死しました。
12.5倍の兵力に対して一歩も引かず、味方の損害よりも
多くの損害を敵に与えたのですから、いかに日本軍が
よく戦ったかがわかります。

組織的抵抗が終わった後も日本軍のゲリラ的抵抗は続き、
最後の日本兵が投降したのは何と4年後の
昭和24年1月1日だそうです。

硫黄島の玉砕によって、B-29爆撃機の中間基地を得た
アメリカ軍はその後、ますます激しく爆撃を繰り返し、
日本本土を焼け野原に変えて行きました。

現在では自衛隊の基地が置かれていますが、島内には
まだ13000柱もの未回収の遺骨が眠っているそうです。

日本を守る為、愛する人を守る為、南海の孤島で
命を掛けて戦った勇敢な人達の崇高な精神を
私達は忘れてはならないと思います。

昨今、クリント・イーストウッド監督による映画
「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」で
俄然、注目を浴びている硫黄島ですが、一般人の
上陸は出来ないそうですので、観光は出来ません。
あしからず・・・。

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